経歴

◯新潟県に生まれる。〜マンションからおもちゃのジープにのって階段から落っこちた事のみ記憶している。笑ってばっかりで、うちのおばあちゃんが知恵遅れと心配する。

◯私立ルーテル幼稚園入園〜キリスト教の幼稚園で、しょっちゅうお祈り。アーメン、ソーメン、味噌ラーメンとか言っていた。注射が大嫌いで、注射をした後にはかならず、おもちゃを約束しなければ行かなかった。人見知りな性格でカマキリ好き。お父さんにスキーを教わる。デンジマン命。

◯小学校入学〜入学当初、クルーテル幼稚園出身と言われ、女の子に筆箱とられたり、ノート取られたりでいじめられる。しかし、2年生以降一気に暴れん坊になる。 そのいじめた女をひたすらいじめ地獄に落とす。ガンダムのプラモデル及び筋肉マンの消しゴム所有率ナンバー1になる。カブトムシ、くわガタに命を燃やす。カブトムシ幼虫およびサナギ100匹を、家の中で育てお母さんキレる。

◯3年生以降〜水泳以外の運動はメチャ得意で、運動できるやつがクラスの人気者となる時代だったので一躍人気物に。ちゃりんこ乗りまわす毎日。友達の家の二階窓から飛び降り、全身打撲で死にそうになるがキャプテン翼のTVを見るために医者に行かず、後でとんでもない事になる。ファッションはキャプテン翼ベース。 好きなミュージシャンはC C Bとチェッカーズ。好きな食べ物はビックリマンチョコ。少年野球をはじめる。

◯5年生以降〜この頃から女のこにもて出す。成績優秀、スポーツ万能と呼ばれるようになる。陸上の大会、水泳の大会では活躍し、学校の運動会ではリレーの選手(大したことでないのに・・)。スキーはウェーデルンマスター。しかし音楽の才能はなく、無理やりピアノを習わされいいかげんヤになる。数少ない男でピアノならっている友達が、 水泳の最中、目の前で心臓麻痺で死ぬ。ショックでもあり、今までの友達の接し方に後悔を覚える。はじめて人の命について考える。ラジコンはプロ級で、地元の大会を小学生ながらあらす。少年野球では、40人いるチームでレギュラーになるがあまりの遅刻の多さにレギュラーを何回かはずされる。

◯中学入学〜剣道部に入る。中学ではじめて剣道をはじめるが、暴れん坊だったので結局、大将になる。このとき剣道初段をとる。運動大好きだったが勉強全くしないので、テストはヤバかった。また、目立っていたので中学二年の最初に上の学年の一番ヤンキーグループにボコられる。階段ですれ違うたびにボコられるようになり、 友達何人かも訳もなくボコられるようになった。そこから、やられたらやりかえすという精神が生まれヤンキーになる。そこからは上の学年のボコったやつを地獄に落とし入れる。そいつらが高校になってしかえしにきたが、バイクのオイルタンクから砂糖を入れ、さらに、剣道部だった事もあり木刀でバイクを壊したりした時もあった。 さらに、中学で一番かわいい子に坪谷君って中村トオルに似ててかっこいいといわれ、自分は性格が単純だからビーバップハイスクールがカリスマになり、さらにはろくでなしブルースという連載が始まり、ボンたん、短らんというスタイルで学校に行っていた。女のこにはなぜかもてまくった。30人以上に告られる。はっぴーライフだった。 しかし、いいかげん中3になったとき、先生が勉強しない事をしつこく言ってくるようになり、しまいには親にまで言われるようになった。そこで、はじめて勉強というものをはじめる。 そしたらいきなり学年トップになり、がり勉にねたまれるようになる。そんな事もあって地元で一番良い高校に合格。

◯1991年;高校入学〜陸上部に所属。面白い友達と出会う。部活では三バカトリオといわれ、さらに目茶きつい部活だったので、サボりぐみとやたら気が合う。部活と勉強の毎日だったが、酒のみ暴れたり、教室でも隅ではしゃいでるたちの悪いめんつだった。友達とは海までちゃりで行ったり、夜中花火をしたり、買い物したりとのびのび遊んだ。 巻町軍団と田上町軍団は最強になった(?)。高校で出来た友達は最高だった。受験は推薦であっさり終わる。中3の夏まであんまり勉強してなかったからかなり助かった。

◯1994年;四谷駅大学入学〜最初はサッカーのサークルに入りかわいがってもらった。サッカーをしたり、クラスのみんなと飲みに行ったり普通の大学生。しかし、サッカーの大会で怪我をして、サークルから離れる。ちょっと英語の勉強しようと60万円も払い、学校に通うが3回ぐらい行ってそれ以上は行かなくなった。 1年の終わりにスキーができるという理由でなぜかスノーボードサークルを友達とつくる。サークル(TEAM 104)は適当な割に上手くいった。また、なぜかスケボーにはまり、大学にスケートやる人がいなかったが、唯一(家がそのとき遠かったが)アメリカジコミのきょうちゃんに出会う。 ちょっとやる気が出てきて地元では、中野サンプラザローカルの一人になる。プロもたくさんいて友達も出来た。大学3年ではスノボサークルが最盛期をむかえる。また、サーフィンにはまり毎週サーフィンにいき、ハワイを夢見る。サーフショップでワールドチャンプのシェーパーに出会いハワイにつれってってもらえる事になり、サーフィン三昧という予定だった。しかし、惨事は起きた。1週間前のスノボの合宿で背骨を二本骨折。しかも、医者に行ったのは3日後。4年の途中までギブスになり、がっくり。肉体的にも精神的にも弱る。しかしサーフィンから復活していった。スノボサークルでも良き後輩に出会い、またもや夢を見始める。スノボとサーフィンがすべての楽しみになる。

◯1998年;四谷駅大学大学院入学〜毎日毎日、白衣着て実験の日々。休みは日曜のみの生活。しかしサーフィンだけは続けていた。また、スノボでも、ハーフパイプに復活し始める。最近はスケートもみんなでやるようになった。しかし、悲劇はまた起きた。サーフィンで腰を冷やしすぎてある病気になり入院。・・・。そんなことにもめげずに1999-2000シーズンから スノーボード;ワンメイクジャンプを復活!!でも、回転技がニガテなことを知り、チョッカリストレートで高さを求めることにする。学校はきつかったが、一番充実した時間を過ごせた。で、根性で論文&研究をこなし修了!!

◯2000年;某化粧品会社入社〜大阪に本社がありそこに研究所があることから、研究開発職の人は必然的に大坂決定。ってなことでグッバイ東京・・・・。はぁぁぁ。そんでもって、西宮に住む。 近くに海があり、ウェークボードをはじめる。でも、冬になると友達いなくて、仕事しんどかったので会社を辞めることを決意。でも説得に会う(毎日2時間部長と)。神戸近辺は住みやすいしもう少しがんばることにした。

◯2003年;転職;化粧品会社入社〜3年働き待遇面が改善されなかったので、やっぱり会社を辞めることにした。 会社は組織なんで個人ある程度の業績あげても、会社全体が業績よくないとやっぱり個人の給料も上がらない。でも、実力ついたからまあいいとして。 転職はいろ転職は異業種や総合商社までいろな会社から内定をもらたが、また、化粧品会社の研究職に転職した。半分外資だけど、がりがり仕事って感じはなく国内のある会社と待遇は一緒で かなり待遇がよくなった。入社してから知ったけど、かなりの倍率を乗り越えたとのこと。何で俺だったんだろうと疑問を感じているが・・・。千葉の市川に住むことにしたが、サーフィンに行くのが近くなっただけ。もう引っ越したい願望に駆られる毎日であるが 引越しのことを考えるとゲロはきそうなくらいめんどくさい。一人暮らしも10年目だよぉ。ってなことで三十路までには引っ越したいなあ〜。